吉田松陰と金子重之助が海外渡航を企てた地である下田を訪ねてから、もう数年経ちますが、その時の記憶が残っているうちに記録に残しておきます。
1.伊豆急下田へ
2018年11月16日に、大船駅より特急「踊り子」号に乗り、下田へ向けて出発しました。
特急券と「南伊豆フリー乗車券」を購入していたので、現地付近では伊豆急行線の普通列車と東海バスが乗り降り自由となり大変便利でした。観光に行かれる方は購入されることをおすすめします。
2.寝姿山
伊豆急下田駅に着くとまず下田ロープウェイに乗り、寝姿山に向かいました。寝姿山展望台からは下田港を一望できます。ロープウェイ乗り場は駅近くにあり、簡単に見つけることができました。
松陰が渡航を企てた頃、この港内に6艘の黒船が停泊していました。松陰と弟子の金子重之助は、写真左下に見える柿崎弁天島に身を隠し、黒船に乗り込む時をうかがっていました。
吉田松陰寓寄処にあった黒船停泊図によると、当時、黒船はこのように港内に停泊していたようです。それぞれの黒船がかなりの大きさであったことがわかります。
3.蓮台寺駅
ロープウェイで下山し、伊豆急下田駅に戻ると、次に熱海行きの電車に乗って蓮台寺駅へと向かいました。蓮台寺には、松陰と重之助が渡航計画実行前に数日間身を寄せていた村山邸(吉田松陰寓寄処)があります。
蓮台寺駅前です。吉田松陰寓寄処近くへ向かうバスもあったのですが、本数が少なく待ち時間もあったので、歩いて向かうことにしました。約2kmほど歩いたと思います。
4.吉田松陰寓寄処
蓮台寺駅よりグーグルナビを頼りに歩いて、村山邸(吉田松陰寓寄処)に着きました。
参観料100円を支払い、邸内を見学させていただきました。係りの方がいらっしゃいまして、他に客もいなかったこともあり、詳しく説明していただきました。
蓮台寺を訪れた松陰は、この風呂に許可も得ず勝手に入っていたとのことです。その際に知り合った村山行馬朗(むらやま ぎょうまろう)医師と懇意となり、身を寄せるようになりました。
その際、渡航計画のことなどを隠さずに話したそうですが、村山医師は口外することなく、彼らを匿ってくれました。
村山邸内にある湯舟です。数日間、松陰はここで湯治のために湯舟に浸っていました。
係りの方の話によると、渡航計画が失敗したのち、ふたりを匿った村山医師には、幕府からの追及があったそうで、平穏無事では済まなかったとのことです。
このような話は聞いたことが無かったので、すこし驚いてしまいましたが、その後の松陰のたどる人生を考えると、この人は隠れた維新の立役者のひとりと言える人なのかもしれません。
村山邸を後にして、再び歩いて蓮台寺駅へと向かいました。
5.柿崎弁天島
蓮台寺駅から伊豆急下田駅へと電車で戻り、次はバスに乗って柿崎弁天島へと向かいました。
松陰と重之助が祠に隠れて夜を待ち、黒船に小舟で乗り込もうとした場所です。このことから、柿崎弁天島は「吉田松陰 踏海の企跡」として史跡となっています。
柿崎弁天島から伊豆急下田駅に戻り、近くのビジネスホテルで一泊しました。
夕食には、地元の海産物を堪能しました。とてもおいしかったです。
6.吉田松陰拘禁之跡
2日目はまず、吉田松陰拘禁の跡へと向かいました。渡航に失敗の後、松陰と重之助は自首して、下田奉行所によって拘禁された場所です。
路上に面した獄であり、見せしめの意味合いもあったのですが、ここでも松陰は重之助に対して講義を行っていたと言われています。
7.吉田松陰投宿の跡
8.下田開国博物館
下田は日本で初めての開港された場所です。その当時の資料や遺品が展示されています。中には松陰が獄に拘禁されている様子の再現などもありました。
念願だった下田への一泊二日の旅でしたが、有意義な旅だったと思います。幕末史の舞台となった地のひとつだと思いますので、幕末史が好きな方は是非、一度は下田へ行ってみてください。
吉田松陰と金子重之助について興味のある方は、よろしかったら以下の記事もご覧ください。
よろしくお願いします。
【憂国の志士】吉田松陰【松下村塾と獄中の理想教育】
幕末、ひとりの青年の壮大なる志が、大藩の意思を統一し、倒幕へと駆り立てていった。その青年こそ、松陰吉田寅次郎矩方(のりかた)に他ならない。
松陰は、教育者でありながら、類まれな行動家である。彼は、結果よりも行動を起こすことに重きを置くがあまり、彼の実践した幾多の行動には、理念と情熱が先行しすぎる感があり、計画性無き行動ととられることもある。
しかし、、、
【踏海志士】金子重之助【師吉田松陰との絆】
夜、二人は小船を漕ぎ出し、米艦隊のいる沖に向かった。しかし、その船には櫓を止める杭が無く、ふんどしと帯で櫓を船に縛り付け、力一杯漕ぎ出した。途中、船に縛りつけたふんどしがちぎれてしまったりと、難儀をしたが、ようやく、ペリーのいるポーハタン号に乗り付けた時には、二人は素裸であった。
おわり
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